2011年04月27日

review:泉孝昭「日常の虜」《4/1、4/7》

rreview:泉孝昭「日常の虜」《4/1、4/7》

泉孝昭「日常の虜」
TARO NASU
東京都千代田区東神田1-2-11
03-5856-5713
4/1(金)〜4/28(木)日月祝休
11:00〜19:00
泉孝昭110401.jpg

Takaaki Izumi 'Enchanted to Everyday Life'
TARO NASU
1-2-11,Higashi-Kanda,Chiyoda-ku,Tokyo
03-5856-5713
4/1(Fri)-4/28(Thu) closed on Sunday,Monday and national holiday
11:00-19:00



階段を下りてその正面の壁面、そこに刺さる5枚のカード、それを唐突に視界が捉えます。


泉孝昭_26.JPG



見上げるとすべてがジョーカー。
それも同じ柄。。。


泉孝昭_25.JPG

泉孝昭_24.JPG



そこから右へと視線を振ると、僕の身長で見上げる高さにずらりと、ジョーカーが連なるようにして壁面に刺さっています。


泉孝昭_23.JPG



3つに分かれるギャラリーの展示空間のもっとも広い場所で展開されるインスタレーション。壁面に刺さるカードは全てジョーカーで、さすがに刺さっている枚数は数えていないのですが、やはり一体全体何枚あるのだろうと思い返すと相当に木が遠くなります。。。
また、入り口すぐの位置の5枚は1枚だけ色が入っているものの同じ絵柄だったのに対し、さまざまな絵柄のものが混ざっていてそのバリエーションにも圧倒されます。


泉孝昭_22.JPG 泉孝昭_21.JPG

泉孝昭_20.JPG



思えばトランプの絵柄、数のカードはほぼ決まったもののように思いますが、ジョーカーはというとイメージこそ湧くものの具体的に定まったかたちが確かにないことにあらためて気付きます。
その枚数に圧倒されながらもじっくりと連なりを眺めていくと、何種類かの絵柄のものがその大勢を占め、その都度初めて目にする絵柄に新鮮な想いを抱きます。


泉孝昭_18.JPG



続けて眺めていって、同じ絵柄が続いて現れるとそこにリズムが生まれます。
もちろん1枚ずつ観ていくわけではなく数枚を一度に視界に捕らえながら進んでいくのですが、そのためにその時点で初めて目にする絵柄が現れるたびに「おお!」という驚きを併せ持つ嬉しさが心の中に引き起こされ、それとともに、そこまで観てきたカードにそこで初めて見た絵柄がなかったかをその都度振り返って、短い時間における自身の記憶の反芻もひたすら繰り返していきます。この感覚が引き出されることもあらためて興味深く思える次第。


泉孝昭_17.JPG



最後の一角まで辿り着くとそこにひときわその差異が目につくカードが現れて、この動線の帰結がそこに作り上げられているようにも感じられます。
もっとも用いられたカード自体には一切の細工は行われていないようで、逆にたった1枚だけ存在する絵柄の存在感が鮮烈に際立ち、並ぶカードの角度や高さなどは無秩序ながらももたらされているある一定のリズムに強烈な起伏が生まれているように思えるのも興味深いです。


泉孝昭_16.JPG



続く空間にはくねるもみの木が。
床に這いつくばるもみの木の奇妙な仕草がなんともユーモラスで、それ自体は静止しているにも関わらずどこかもぞもぞとした動きを感じさせてくれます。


泉孝昭_15.JPG



このインスタレーションも特別なことが行われていくわけではなく、実にシンプルにフェイクのもみの木ひとつひとつを捻って捩ってあらぬかたちに変化させただけ、という。。。
本来の目的というか、おそらくはクリスマスに華やかに飾り付けられるために作られたもみの木がコンクリートの床にばさりと倒れ、歪まされて置かれることで全く異なる気配をそこにもたらしているのがなんとも痛快に思えます。


泉孝昭_14.JPG 泉孝昭_13.JPG 泉孝昭_12.JPG

泉孝昭_11.JPG



ひとつひとつの仕草がなんともシュールです。
ここにあるもみの木のフェイクはもとはそのかたちに個性を感じることのないむしろ無機的にも思えるほどのスマートさだったはずが、ひとつひとつに異なる力が加えられて表情が生まれ、それぞれに不思議とかわいさというか、愛らしさが生まれているような感覚が浮かんできたりもします、
しかし荷札がなぜか付けられていて、それが逆に残酷なほどにそれ自体を「もの」として存在を落とし込ませているあたりからもさまざまな想いが導かれ、脳裏をよぎります。


泉孝昭_10.JPG 泉孝昭_09.JPG

泉孝昭_08.JPG



いちばん奥のスペースは、また異なる混沌が。
砕かれた黒のダイスがその床に散りばめられたインスタレーション。


泉孝昭_07.JPG



黒の地に白いドットのダイスを用いられていることもあってか、クールで無機的な雰囲気もそこにもたらされています。
加えて、ただそこに撒いたのではなさそうで、おおむね欠けたダイスのひとつひとつは律儀にその目が上を向くように置かれているようで、このことも空間に緊張感を生み出します。
その情景はダイスが水面から顔を出すようにコンクリートの床からその姿を現しているようなイメージも浮かんできたり。。。
また、よく時代劇の賭場の場面でイカサマを確かめるために骰子を齧って割るのを思い浮かべ、ここに散りばめられた数だけの真理の追究(というとお下差ではありますが)が行われたことを表している、そんな想像も浮かんできます。


泉孝昭_06.JPG

泉孝昭_05.JPG



ひとつひとつの欠片に目をやるとそれぞれの存在の無機質さとは裏腹に、その小さな存在に寂々とした気配が濃く立ちのぼっているようにも感じられます。もう本来の機能を果たすことのない、という事実をそれぞれが抱えていて、刹那、その残酷さに繊細な想いも浮かんできます。


泉孝昭_04.JPG 泉孝昭_03.JPG

泉孝昭_02.JPG



空間としての緊張感も独特です。
これだけの数のダイスの破片が床に広がっていながら空間の容積への作用はもとが小さいだけあって相当に抑えられ、しかし視線を落として限りなくダイスの高さへと合わせていくと今度は逆に天井の高さが破片のひとつひとつが弱々しくも濃く放つ気配を際立たせて、そのとき目にしているひとつの欠片への思い入れも徐々に強まっていきます。


泉孝昭_01.JPG



それぞれの空間で体現されるアイデアのシュールさと、それを実行したときにもたらされる思いもよらぬ気配やテンション感のユニークさ。観る人それぞれに届く質量もおそらく大きな差異があると思われるのですが、ひとたびしっかりと対峙すると、むしろ感情を殺して展開され作り上げられていると思われる各々の空間から不思議な情緒が得られていくのがなんとも痛快で興味深いです。
身近なものを用いてその本来の用途を喪失させ、結果どうなるか、という感じの展開が面白く、そこに注がれる冷静な遊び心にもおおいに惹かれます。
posted by makuuchi at 06:53| review | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。